世界を股に掛け、プロ調教師として活躍する風見蘭喜氏。メディアにおいてもオリジナルレーベルを手がけ、秀逸なSM作品を次々と世に送り出している氏だが、今回は当サイト開設にあたり、販売目的で撮影されたものではない、極私的なプライベート映像を投稿してくれた。19歳から30代半ばまでの女性四人が見せる調教風景はそれぞれ違った趣があってどれも秀逸。ぜひ、風見蘭喜氏の人となりを取材したこのテキストともに四者四様のマゾ痴態を愉しんで頂きたい。
――このたびは素晴らしい調教作品を投稿してくださってありがとうございます。それぞれ女の子の特徴が明確で大変興味深く鑑賞させていただきました。それで、まず疑問に思ったのが、パートナーの調達方法なんですが、年齢も職業も違う女の子たちをどのようにお集めになられるんですか?
「今現在はインターネットでのモデル募集ですね、ホームページをもってますから、そこを通して応募して来るコもいます。あと、SMバーなどのお店に行って、そこの女の子を軽く縛ったのがきっかけで、ハマって行くコもいますね。昔はね、テレクラのSM回線で引っ掛けていましたけど」
――テレクラでは結構引っかかるものだったのですか?
「最初のころは百発百中でしたね。三ヶ月に50人くらいのペースで女の子を捕獲して、それがが4、5年続いてました。なのでトータルで1000人以上と遊んだんじゃないかな。まぁ、それだけやると飽きますよね、さすがに(笑)それでちょっと変わったことしてみようかと思って、単独男性を募集して3Pしたり、SM回線を使ったりとかして、この世界に入ったという感じですね」
――初めてSMを体験したのは?
「二十歳のときだから、今から35年前かな。大阪の心斎橋にSMクラブがあったんですよ。で、どんなかなと思って遊びに行ってみたんですけど、そしたら、お店のママに、『ほな、一回やられへんとわからへんよ』って言われて、Mをやらされたんです。そしたら逆さ吊りにされるわタバコの火を押し付けるわで、まぁ、酷い。SMなんて二度とやるかって思いましたね(笑)」
――それがどうやってプロフェッショナルな道に?
「最初は、自分には何ができるかって考えて、そしたら露出とか羞恥プレイとか言葉責めなんですね、得意なのは。それでしばらくはテレクラで引っ掛けた女の子を、野外でハダカにさせたり、オナニーさせたりしてしてたんですけど、次第にそうやって遊んでくれる女の子も五、六人に増えてきたものですから、確か1996年位かな、彼女たちを使ってお見合いサークルを立ち上げたんですよ。で、ほぼ同時にSMラウンジみたなお店も構えることにして。そしたらやっぱりイベントの出し物とかで緊縛が出来た方がいいと。それで見よう見まねで縛り始めたのが最初ですね」
風見さん秘蔵プライベート映像①はコチラ↓
風見蘭喜のプライベート調教●001●月緒/30代半ば・サービス業
風見さん秘蔵プライベート映像②はコチラ↓
【公開禁止の特典映像有り】風見蘭喜のプライベート調教●002●しほ/20代・女子大生