素人のマニアカップルから、アダルト業界に生きる女の深層心理に迫るインタビューを多数行うライター。

ビデオメイトDX 1995年12月号 三代目葵マリー インタビュー●再掲載記事

あの人は今、のおいらが 同窓会の招待状を出しました(仮)第2回 招待状送付人  三代目葵マリー編・インタビュー資料特別掲載

ビデオメイトDX 1995年12月号 三代目葵マリー インタビュー●再掲載記事(インタビュアー:荒玉みちお・写真:山本陽光(松沢雅彦))

 まず「憎いほど男殺し」というタイトルにビビっときた。それで鑑賞してみると、これまた主演の女王様が実にいい。女王様と言っても居丈高なボンデージに身を包んだり、ムチを振り回しているわけではない。生まれたまんま、裸の女王様なのである。しかも、これまで男が女にしてきたような、サディスティックな言葉責めだけで男を焦らしている。

『ほら、いいの? ねぇ正直にいいって言ってごらんなさいよ』

 と今までのエロ本の常識を覆すようなシチュエーションが画面の中で展開されているのである。裸で抱き合って、女の方が時にはキツく、そして時にはやさしく男を責めている。それで男はチンポ汁をダラダラと噴出させて『もう、もう我慢できません、オマンコください』と言いはしないがチンポで語り、極限まで我慢させられた末に素股で放出。男優が見せた『心の底からイキました』と言わんばかりの虚ろな目が印象的な作品であった。そこで女王様をやっていたのが水城千春という名前の人。スゴイ女王様がいるもんだと感動して会ってみると、女王様は今年(1995年)の6月に名前を変えていた。

「三代目葵マリー」

 なんと、ものスゴイ名前に変わっていた。取材に同行してもらったカメラマンの山本陽光先生も驚く女王様の大看板だ。なぜ陽光先生が驚くかというとこの人、基本的にマゾ系。少なくとも女をイジメて喜ぶタイプではない。それで女にやさしいかと言うとそうでもなく「お姉さんに可愛がってもらいたい」と思うタイプ。それで時にはキツく叱ってもらいたい……。というわけでやっぱりマゾ。わたくし荒玉もマゾ系かもしれないが人に指摘されても認めない強気のマゾ。そんなだから、たぶん本質はマゾではないのかもしれない。とまぁそんな取材側の性癖を詳しく知りたい読者などいないと思うから、話を三代目葵マリー女王様に戻しましょう。

 待ち合わせ場所はコアマガジン編集部で、女王様を呼びつけるとは何とも恐ろしい編集部である。

「女王様が不機嫌な顔でムチ振ってきたらどうするんですか、編集長」

 と責めているうちに三代目はやってきた。意外にもニコやかな表情だった。

「こんにちは!」

 と、まるで保母さんのような笑顔。安心してそれぞれが挨拶を交わしているとカメラマン陽光先生の前で、一瞬、女王様が「あっ!」と言ったような気がした。もしかして陽光先生、客として三代目に会った経験があるのではないかと思ったが、特になんの会話も続かない。女王様の反応は何だったのか……疑問を残しつつ取材陣ご一行様、インタビュー場所へ移動したのであった。

「世間の人はSMを勘違いしていると思うんです。私のプレイは『憎いほど男殺し』のビデオのまんまなんです」

 女王様と言えばボンデージ&ムチ。その影さえ見えないプレイ。あれが本物のSMだとすれば、今まで抱いていたイメージは総崩れになってしまう。

「ムチや浣腸はM男に頼まれればやりますよ。でも私が積極的にやることはない。本質的にM性を持っている男の人は結構多いと思うけど、みんな痛いってイメージを持っているからSMに近づいてこないんじゃないですか」

 頷く陽光&荒玉。

「私はそういう間違ったイメージを崩したいんですよ」

 三代目のSMは自分も裸になる。勝手なイメージで言えば、天から下りてきて一緒にプレイする感覚か。だとすればまさに素人M男たちにとっては、逆に天に捧げたくなるほど素敵な女王様ということになる。こうなると、気楽だ。女王様に失礼な質問はタブーという印象があるから気を使っていたのだが、質問の展開も早くなる。

「初体験はいつだったんですか?」

 と、先陣を切って聞いたのは陽光先生。

「それは……15歳のときでした。相手は4つ上。最初のうちは黙って相手に任せていたんだけど、そのうち下から見上げているのがイヤになってね。上にいる相手の目がね、なんかムカつくようになって。見下されているような気分で」

 いわゆる正常位。

「それでセックスがイヤになって。単調でありきたりな出し入れが繰り返される、そういうのがイヤになったんですよ」

 それである日、ひょんなことから上になってみた。いわゆる騎乗位。

「上になってパッと目を見開いてみたら、世界が違ってたんですよ。爽快な世界が広がってた」

 三代目はここから旅立つのだった。