元エロビデオ雑誌ビデオメイトDX』(コアマガジン 1988~2010)編集長。写真は産湯に使っている本人。

三代目葵マリー編・その壱の壱●あの人は今、のおいらが 同窓会の招待状を出しました(仮)第2回 招待状送付人 三代目葵マリー 出席◯

豪快な人柄そのままに、その口からはシチリア・マフィアも真っ青のぶっ飛びエピソードが次々と出てきます(笑)。今となってはここでしか聞けないような貴重な思い出話がいっぱい!! しかし、そこから滲み出るのは、アンダーグラウンドの世界で玉座に君臨し続ける稀代のエンターティナーの心意気。突き抜けた生き様はカッコいいっす!

――お二人はこの時が初対面だったんですか?

三代目:そうだね。この頃、松沢さんに行きつく前は雑誌の人っていうとずっと東ノボルさん(注5)だったから。で、松沢さんに乗り移ったのw その後って何やるにしてもずっと松沢さんと一緒だよね?

松沢:そうなんですよ。なんかイベントやるとか、新しいレーベルやるとかってなると必ず電話がかかってきて…。それどうしてなのかなって思ってたんですけどね。

三代目:なんだろねw 私って特化する癖があるみたいよ。アンテナが一本立ってて、この時はこの人に連絡するって。当時は東ノボルさんだったのが、東さんがアダルトの仕事からフェードアウトし始めた時期で、それで松沢さんの方に変換したというw 松沢さんも連絡すると必ず来てくれて、それでこの人は「いつも来てくれる!」ってw

松沢:とりあえずおっとり刀で駆けつけるw

三代目:で、ちゃんと記事にしてくれる人だったからね。当時、取材を断られることが多かった中で松沢さんは必ず来てくれたから。それでロックオンですよw

松沢:呼び出されて嬉しいんでしょうねw それでこの頃、三人くらい奴隷がいるっていう話をしてて、「ホントにいるのかな?」って聞いててそう思えなかったんですよ。

三代目:この頃はプレイヤーだったからね。お客さんもちゃんとついてたじゃん。このインタビューの時って六本木にお店があった頃かな。それで『アルファーイン』(注6)とかよく行ってたもん。

松沢:料亭にも行ってたんでしたっけ?

三代目:料亭は行ってない。熱海のホテルだね。『旅行友の会』っていうので捕まったじゃん。旅館借り切ってSMショー見せて、そのあと好きな女の子買って乱交パーティーみたいなのやってたじゃん。

松沢:それも六本木の『ブルーシャトー』(注7)の流れ?

三代目:そう六本木時代の。

松沢:その頃はまだ初代はいたんですか?

三代目:そう。それで初代が『旅行友の会』で捕まって初めて起訴されて、それで行っちゃったじゃん、小菅かどっか。それで引退したの。「私はもう表には出ません」って。

松沢:じゃあ、『男殺し』を撮ったのは?

三代目:『男殺し』を撮った時はまだ渋谷にお店があった頃。鷲本さんと社長が来て「お願いします」って言われたの。貴龍沙月がいた頃。AVでは刹那紫之の名前でやってた。

松沢:あの人と一緒にやってたんですか。あの人も独特な人でしたよね。

三代目:北野雄二(注8)と結婚してたんだよね。

松沢:それで北野さんが部屋にいると、帰ってくるなり、くんくんって匂って「オマエ、オナニーしてただろ?」ってw 北野さんは一時間以上前のオナニーだったんだけど、その話を聞いて「わかるんだ!」って思って、こっちもドキドキしちゃってw 北野さんでも取材に来た人でもその日にしてたんなら分かるっていう。「洗ったって分かるよ」って言っててw

三代目:すごいね~。変った女だったんだよ。

松沢:それで貴龍沙月にインタビューした時も、「明日から刹那紫之に変わります」って言われてw 三代目と一緒ですよ。

三代目:そういう時代だったんだよ、みんなw

松沢:やっぱ当時は女の子同士、意識とかしてたんですかね?

三代目:私はそういうの全然なくて。偶然、同じ場所にいたってだけで。それに私、当時、プレイヤーといっても常にやってるわけじゃなく、女の子の管理だったり、ごはん作ったり、洗濯したり、色々やらされてたんですよ。それこそ貴龍さんの宣材持ってプロダクション行ったりとか、マネージャー的な仕事も全部やらされてたから。

松沢:へぇ~。それで水城千春の作品としてはアロマだけ?

三代目:そうアロマの二本だけ。

(その壱の弐へ続く)